レポート抜粋(6月23日)
<テーマ>
本日の講義で、あなたが最も興味を持った点はどのような点ですか?講義の全体的な感想と共に、できる限り具体的に、200字〜400字程度で記述して下さい。
<一ヶ月の討論を終えて・・・>
- 都合のいいプログラミング言語が欲しい迷える厳密文法派です。
たくさん意見をもらえて嬉しかったです。どうもありがとうございます。実はないと分かっていつつ「両方のいいところを取った都合のいいプログラミング言語」が欲しいと言ったのですが(あれこれ求めた結果、多くの言語があるという答えが初めに出ましたから……ないものねだりです)、無責任に出したこの問いかけが、今回の議論における結論のひとつを導いた、きっかけの一端になれたようで幸いです。
プログラミング言語もやはり人間の思考の延長のようで、今回自由文法として取り上げられていたBASICは学校教育で使われた言語でしたが、厳密文法のDelphiも同じように学校教育で用いられていたと記憶しています。これはつまり、教育現場でも自由であるべきか厳密であるべきか結論が出ないということで、なので今回ある意味での結論が出たということは、とても好ましいことだと思いました。
ただ、都合のいいプログラミング言語の出現を諦めたわけではありません(笑)。オブジェクト指向は人間の認識や思考によりマッチした考え方だと言われていますが、この「人間にマッチした」を突き詰めていくといずれ、人間の適度な自由さと厳密さを兼ね備えるようになるのではないかと思います。どれだけ時間がかかるのか分かりませんが、プログラミング言語の発展に注目していたいです。
- 今日までの講義で、自由なやり方のほうがいいか、厳密にエラーを出してやった方がいいかということをやってきて、自分の意見とは違う意見を聞くことができ、貴重な経験になったと思う。次々と新しい意見や、予想もしないような発想がでてきて感心することがあった。でも自分の意見ではないので少し悔しかったけれど、いろいろな面で勉強になったと思う。
- 今までプログラミングは厳密文法がいいのかそれとも融通の利く自由な文法がいいのかを討論してきましたが、両方の長所、短所がありどちらがいいのかという結論をだすのは、結構難しいことです。それでも、双方の意見はいろいろ納得させられるものもあり、十人十色のようにみんな、いろいろな考えや価値観があるんだなとわかりました。でも結局はお互いの意見をけなすのではなく、だんだん少しずつ尊重しあえているのかなと思いました。何回かに渡って討論した甲斐があったのではないでしょうか。自分ひとりでは考えられなかった部分も、こうして自分とは異なる意見を聞くのも、勉強になりました。
- 数回の講義にわたった厳密文法vs自由度・融通の論争はなかなか白熱して、楽しかったです。双方の意見数がちょうどぴったり二等分されていた所から始まり、講義が進むごとに深い見解になってくる所など、非常に興味深かったです。私も最初は厳密文法派だったのが、途中自由度・文法派に傾きかけたり、結局は厳密派に戻ったりしました。
結局最終的にはどちらの意見が多かったのでしょう? 私は自由度派の方が多いだろうと思っていますが、『楽しさが先か、理解が先か?』では予想に反して理解派が圧倒的に多かったようです。
- いろんな人のレポートを見て、こんな考え方や方法もあるのか、と毎回驚いています。みんな考えていることが違うことが分かって、とても面白いと思いました。
自由文法派と厳密派の討論もそうですが、一人で悩んでいても、ある1つの考えに執着してしまって、なかなか前に進まなかっただろうと思いました。
いろんなレポートに影響されて、自分の考えも変わったりしました。
- 感想としてはゼミよりも人数が多いので色々な人の意見が聞けて(見られて?)とても参考になるし面白かったです。またこういった議論をしてみたいと思いました。
- どちらの意見を支持するかにおいて、「小学校5年くらいからプログラムを学ぶ」という視点で考えてみました。実は、元厳密文法派です。あえて逆側に立とうとしたわけですが、どんな視点でこのことを議論しようかと考えたとき、次世代のプログラマを育成していくことを中心に考えてみました。
<前回のレポートについて>
- 「V.エラー表示が厳しい方が初学者にとっては親切で理解も深まる」の6/16の意見の「エラーが出ないのに動くプログラムを手渡されて困るのは、実はプログラマでなくて利用者」というのを読み、すごく納得出来ました。私は元々厳密文法派を支持していましたが、そのようなことは思いつきもしませんでした。この意見を読んで、やはり厳密文法派を支持したいと思いました。
- 今日の授業で一番印象に残ったのは、「厳密文法と自由文法のいいところをとったプログラミング言語はないのか?と言う、意見があったが、厳密文法と自由文法は、正反対のものなので、両方のいいところとってしまうと、矛盾が生まれる。」と言う意見です。自分と同じ考えなので、共感できて、印象に残りました。
- 特に印象に残ったレポートとは、エラーを自ら解決することが自信になるというレポート。私も、最初プログラミングを学び始めたころは、短い文でも、エラーが出たり、簡単に直せるエラーでも手をつけられなくて、なかなかエラーを解除することができなかったけれど、繰り返してやっていくうちに、ちょっとしたエラーなら解除できるようになった。最初からエラーを出さない方法をとるのも、だめとは思わないけれど、エラーがでれば、どうしてこの文じゃ実行できないのか、ということも考えるので、ひとつひとつしっかりと理解していくことができるのではないだろうか。
- 今回のレポートで印象に残ったのは、授業の前半にやった「印象に残ったレポート1」のところです。その中の『なぜエラーが出たのか?どのように間違ったか?どうすれば解決するか?というように自ら考え、自ら処理していく方が格段に理解の幅が広がると思い、自信にもなると思います』のところが、とても共感を持てました。プログラミングに限らず、どんなことでも、ミスをしたらどうしてミスをしたか考えるのは大切なことで、それを考えるから、同じミスは少なくなるし、次のステップにもつながると思います。そして、最終的にあまりミスをしなくなれば自信になり、さらに難しい問題に取り組もうとする意欲が湧いてくると思います。
<討論の到達点(プログラミング教育の必要性(役割))に関して>
- 今までの討論の到達点に深い感銘を覚えました。このまま討論を続けていても出口が無いことは目に見えて解っていました。しかし、「両者のメリットを理解した上で、欠点に陥らないように教育すること」は思いついておりませんでした。今まで『どちらの言語を使うか』ということだけを注視しすぎて、支持する言語の欠点を補う方法まで考えが向かえませんでした。逆に反対意見の言語の欠点は指摘できてもその欠点の改善策を考えるなんて想像しませんでした。大事なことは仮に自分が支持する言語で教育する立場に立った時に、相手が困らない教え方をすることなのだと気付きました。自分の知識をひけらかすのではなく、興味を持って楽しく理解してもらおうとする姿勢が大事なのだと感じました。…個人的に一部の教授にこの言葉を渾身の思いで伝えたいです…。
- 今回の講義で前回までのレポートの討論での結果が非常に面白い形になったと感じました。
どちらか一方が良いというのではなく、厳密文法、自由度の高い文法、どちらにも長所・短所があって、それぞれの長所を理解した上で短所を回避しながら教育するということは、教育を受けた者の中に将来、欠点をどんどん少なくし、長所を伸ばして、現存するプログラム言語よりも扱いやすいプログラム言語を作成する人物が出てくる可能性が高くなるのではないかと考えたからです。よりよい教育を受け、楽しく理解しながらプログラミングを学ぶとプログラミング言語の発達もより良いものになっていくと感じました。
- 今回は数回に及んだ、今までのレポートの討論における「1つの到達点」を確認することができました。何度か意見を文字に表していくうちに自分の中でひとつのまとまった意見が作り上げられていた意識はありましたが、やはり多くの文章を読んだり聞いたりしているうちに自信がなくなったり、考えが少し揺らいだりしていました。しかし、表にまとまった皆さんの意見の移り変わりや、両方の面に対してのメリット・デメリットを確認したことで、結果的に使用する人間の力量や理解度が問題であり、どのように扱うのかが的確かと考えることの難しさや、必要性を感じました。結果的にどちらか一方という答えが出るものではないと理解していますが、少しは答えを出そうと無理に考えていくことで、それぞれのメリット・デメリットに気づき、有効的な利用方法を見つけ出すことができるのではないでしょうか?
- 今日の講義で最も印象に残ったのは、長かった厳密文法vs自由度・融通の議論に一応の決着が見られたことです。言語使用+教育で解決、というのは成る程いかにも双方文句無い、これ以外の解決法は無いように見えますが、これだけ長く続いた論争がこうあっさり片付けられては、なんだか騙されているような気もします。しかしやはり今はそのように妥協するしかありません。本当のところ、前回の意見にあった『双方の"いいとこどり"プログラムがあれば問題無し』に軽く衝撃を受けたのですが。それを言っちゃあおしまいよというか、誰もが思っていても言わなかったことを!(笑) もっとも、『そんなプログラムは理論的に矛盾しているので出来ない』という意見もあったようですが。でも本当は、そんな夢のようなプログラムがあれば一番良いのです。なにも絶対不可能と決まったわけでも無し、プログラム(ソフト)の発達はハードの発達以上に目覚ましいですし、今は無理でも未来において、そんなプログラムが登場するかもしれません。
- 私が今回の講義で興味を持ったのは、「言語仕様を教育でカバーする」というものです。両者のメリットを理解して、欠点に陥らないように教育をすることが重要という考えに、なるほどと思いました。
言語を習得するときに、みんな独学でやるものだと無意識に考えていたのに気がつきました。
<”理解が先か楽しさが先か”について>
- 今回、興味をひいたのは、 全体の約三分の二が、「学習において始めに、必要なことは理解である」
という結果を出したことである。このことから既存の指南書(教本)はどの程度を理解力向上と楽しさに、繋がる内容に振っているか調べたくなった。そうは言っても何千〜何万冊もある本を、一冊一冊調べていたら生涯の仕事になってしまう。
そこで『プログラミング』の講義に使う教科書を、作るにあたって先生はどのようなことを重視したのか、それをまず聴いてみたいとおもう。そのことで現在の教育の考え方を読めるからだ。できればこの講義で面白い結論がでたならば、その意見を使用した教科書を考えていきたい。
ここまでくるといっそのこと来年のプログラミングから、楽しさ重視と理解重視の教科書とに分けてみましょう。と、後輩に対して慈悲もないことが浮かんでしまう。
- 6/16のレポートではプログラミング言語について理解が先か、楽しさが先かという討論があり、2/3の人が「理解が先」という意見でした。しかし抜粋レポートなどを見てみると単純に、プログラミングの授業なのだからまずは理解をしなければならないという義務的な意見ばかりではなく、理解=楽しさのような意見もあり、改めて理解と楽しさの関係性の難しさと学習効率に与える影響を考えさせられました。
別に教職を取ろうとしている訳ではありませんが、この問題はプログラムにだけでは無く、将来就職して誰かに物事を教えなければならない状況に立った時にも考えなければならない重要な事だと思うので、これからも考え続けて行きたいと思います。
- 今回の講義で理解が先か楽しさが先かということの結果というか集計が出ていますが、やはり理解が先という人が多かったことが印象的でした。それはなぜかというと、やはり、理解を先にすることで、プログラミングを学習することにハードルを感じずに、楽しくやれているように感じられました。これは、SAがいるから何とかなるという安心感と本当にプログラミングを理解できてきているから楽しいのと両方の意見があると思います。 ということは、やはり、最初はハードルを高く感じても、授業のやり方でやはりプログラミングの印象は変えられるし、それでも苦手と思う人にはSAがサポートする形で理解を深めることで本当は楽しいということに気づければ特に楽しさを優先することはないのではないかと言うことに気づくことが出来ました。自分の経験では高校時代に最初にプログラミングを学習したときには苦手でした。それが、大学に来てプログラミングをやり楽しいと思えたということは、高校時代には理解に苦しんで楽しくなかったのではないかと思いました。
- プログラムを学んでいく中で楽しさを優先するか理解を優先するかと言うのはこの先ずっと討論され続ける問題だと思います、実際に一度プログラムの講義を自由度の高いプログラムと厳密なプログラムの2つの講義を開いて、プログラムの講義が全過程を終了したときに別のプログラム言語を両方に使ってもらいどちらがスムーズに使えたなどを調べてみると結構面白い結果が得られるかも知れないと感じました。私自身こういう体験談みたいなものがあればプログラムを履修するなかでもより幅のある講義の取り方ができると思うからです。
- 今日の印象に残ったことは、前回理解が先か、楽しさが先かという質問の結果が「理解が先」という回答が70%くらいもいたことです。かなりの人が「理解が先」と回答しています。これまでいろいろと厳密派と自由派で討論をしてきましたが、この回答でさらに私は厳密にエラーを出して理解を深めたほうがいいと思います。最初に知識を身に付け、理解したほうが面白さを感じさらに理解が深まると思います。中には最初に自由な方で覚えて理解をしてそれが面白さへとつながるという意見もあるとは思いますが、さらに理解を深めたいなら先に理解する人が多いならなおさら厳密にエラーを出して先に理解を深めたほうがいいと思います。
- 私が今回興味を持ったことは、理解が先か?vs楽しさが先か?です。私は強いて言うなら理解が先派なのですが、「理解が先」派が2/3を占めていて驚きました。私の予想では楽しさが先の意見が多いと思っていたからです。 そして、P17(理解度と楽しさの関係)はとても説得力がありました。 これをみると理解の前に成功体験による楽しさが重要なのでは?…すると楽しさと理解のループのきっかけとなるのは楽しさでは?と意見を変えざるをえない心境になりました。 いえ、でも(Javaなどでの)成功体験(実行させる)以前の紙面上での理解も十分楽しさを生むきっかけとなり得る(この場合理解が先)と思うので…難しいと思いました。
- 前回のレポートの楽しいから理解が深まるのか、理解するから楽しくなるのかというもので、私は理解することで楽しくなっていくものだと思っていましたが、今日の授業で、最初は楽しいということから始まって、そこから理解することでさらに楽しくなるという風に移行していくのではないかという意見にすごく共感しました。確かに、本当の最初のときは、全くわからない状態の中でテキストを写しながら動かしていくので、理解するというよりもとりあえず動作させてみるということで、楽しくなって理解しようとするような気がしました。
- 自分が興味を持ったのは「理解度が先か?楽しさが先か?」ということです。自分はこのアンケートの結果も「自由度か?厳密か?」と同じように結果が半々になると思っていたのですが理解するという事が楽しさにつながると考える方が多いようで驚きました。
「理解度と楽しさの関係」でかかれていますが収束点としてですが成功体験が楽しさにつながるようです。 自分は「楽しさが理解度を良くする」とこの前書いたのですが、今回の結果や「理解度と楽しさの関係」の事を聞いてもう一度考え直したのですが混乱してしまいました。「卵が先かニワトリか」みたいに思えてきました。 ですが自分は楽しい事が色々な事に興味を持ちそれが理解に繋がるのではないか、となんとなくですが思っています。
- 今日の講義で一番印象に残ったのは、理解と楽しさの関係についてです。7割近くの人が、"理解できたから楽しくなる"という意見だったことに興味を持ちました。楽しさよりも理解のほうが先にある人がこんなに多いということは、プログラミングをやっている多くの人は、最初はプログラミングがそれほど楽しくなかったのではないかと思いました。
自由文法派・厳密派にかかわらず、プログラミングはまず理解させることが楽しむことよりも大切ではないだろうかと思いました。
- 今回の講義で、理解度と楽しさの関係で「最初は、うまく動作するという成功体験が重要」とありましたが、とてももっともと思いました。やるきがすごくあっても、最初から動作しないのではそのやる気も沈んでしまうし、楽しさもうすまります。最初にするのはやりやすい簡単なことから。そこから楽しさを知り、もっと深くまで知りたい・やってみたいとなると思います。それはプログラミングだけに言えることでなく、何かを学ぶときの多くに言えることだと思いました。
<児童教育用言語LOGOあるいはタートルグラフィックスについて>
- 今日の講義で興味を持った点は、児童教育用言語LOGOのところです。この話を聞いて小学生に教えるには良いものだと思いました。あんな簡単な文で四角形を書くことができれば確かにいろいろな図形を描くときに自分自身で考えてすぐ出来そうだなぁと思いました。
- 今回の講義で興味を持ったのは、児童教育用のプログラミング言語があったことです。名前もどこぞのおもちゃと似たような名前でちょっとびっくりしました。「児童教育用」ということは、おそらく小学生くらいを対象に考えられていると思いますが、今の教育熱が高い(日本だけかもしれませんが〈苦笑〉)時代ならわかりますが、1967年と37年も前に児童向けが開発されているのはすごいと思いました。もしかしたら、そのころのアメリカが教育ブームだったのかもしれませんが。
- 今回私は児童教育用言語LOGOについて興味を持ちました。その理由は、現在私はプログラミング、アルゴリズム論、CG論、比較プログラム言語論といった講義を履修しており、プログラムを作ることの難しさを知っているので、小さな子供でもこれらを作ることができるということに非常に驚いたからです。私は楽しいから理解度が上がるという意見に賛成なので最初はこのような簡単な言語から徐々になれていくほうが良いと思います。
- 教育で解決するしかないということに到達したのだけれど、プログラム言語を習いたいという人は大勢いると思う。その中で私たちのように先生がいて分からなかったらいつでも先生に聞いて分かるまで教えてもらえる環境にいる人は少ないと思う。本当にやる気があって本などを使ってやりこむ人は先生に教えてもらってやるよりも能力は伸びるかもしれないが、サポート無しで取り掛かるというのは難しいと思う。そこで深くプログラムを考えずに済み、楽しくできそうなタートルグラフィックスというのはいいと思った。これなら楽しくできそうでなかなかいいと思う。
- 「タートル・グラフィックス」というものを今回の講義で初めて知りましたが、この「LOGO」言語のように、どんなに小さな言語や考え方であれ、後の世代に大きな影響を与える事があるのだということを学べたように思います。
<FORTRANの型宣言について>
- 今日の講義で私が興味を惹かれたのはFORTRANの発展B型宣言の導入のところのFORTRANWで型宣言が導入されたのに暗黙のルールとして型宣言しなくても整数型と実数型を使い分けられるというところです。確かに型宣言をしたほうがプログラムとして見やすいですしわかりやすいです。ですが、以前から使っている人たちにとっては面倒なだけですからそれを暗黙のルールとして使えるところがなんかとてもいい感じがして気に入りました。
- 今回の授業で私がもっとも興味を持った点は、スライドの「FORTRANの発展@」と「FORTRANの発展B」でした。今までJAVAで型宣言を行うプログラムを勉強していましたが、この様な型宣言の必要が無いプログラムを知ったのは実は初めてで、凄いショックを受けました。
- FORTRANに、はじめは型宣言が導入されていなかったと言う事に驚いた。プログラミング言語はJAVAしか使った事がないので、型宣言もはじめからあるものだと思っていたが、良く考えれば、JAVAは色々な言語があったからこそ進化して出来たプログラミング言語だから、ある程度完成されたものであって当然だ。
<FORTRANのサブルーチンについて>
- 今回の授業で最も印象に残ったのは、FORTRANについて、特にサブルーチンについてのことです。現在専門ゼミでクラスの作成についてのプログラミングをしているのですが、このサブルーチンを見てまさにクラスの原点ではないかと思いました。本筋のプログラムとは別のところに記述し最後にRETURNで返すところなんかはクラスそのものだと思いました。このサブルーチンが導入されたのは1958年のFORTRUNUからであると知り、50年近くにわたりそれが使われ続けられてきたということに驚きました。
<FORTRANの制御構造の発展(GO TO文の排除)について>
- 今日の講義で興味を持ったところは、FORTRANというものはとても単純なものであるということです。今までの言語はとても複雑なものだったので,DO文を導入してGO
TO文を削除することによって全体的な見通しがよくなるということは、とてもうれしいことだと思います。機械的な言語で書かれたプログラムよりも、数式のようなプログラムなら理解もしやすいと思います。
- 今回の講義で最も興味を持ったのは、分岐処理の表現です。以前は"GO TO"などと、現在と比べるとかなり複雑で難しいことになっていたと思いました。そして見通しを良くするために"GO TO"文を削除して、"END、ELSE、IF"などを導入して、発展していったのは凄いと思いました。"GO TO"文を削除して実行内容量は増えたようだが、プログラム全体はより見易く良くなったのではないかと思います。
- BASICをプログラム学習の最初にさわった人間として、このタイプの記述方式には随分と慣れていますが、分岐・繰り返しにおける記述の変化は、見ていて面白いです。一応同じFORTRANがベースでしょうから、暗黙に過去のスタイルが引き継がれるところはあるのでしょうが、構造化プログラミングの影響ですか? これらの部分の変化は興味深い点です。
- 「分岐処理の記述の発展」というところで、IFとGO TOで分岐処理が表せたというところが興味深かった。言語がこんなに少なくてもプログラムが作れるんだという驚きとなぜ、今のプログラム言語ではGO
TO文をなくしたかがよく分かったことがおもしろかった。言語は増えれば増えるほど、どんどん難しく扱いづらくなっていくような気がしていたが、意味を理解すると逆に分かりやすくなるのだなと、GO
TO文と見比べたときに思った。
<FORTRANの発展全般について>
- 今日の講義で最も興味を持った点はFORTRANの発展についてで、昔のFORTRANは文法規則が簡単と書いてあったけど、みなれてないせいか、ちょっとわかりづらい感じがした。あと7〜72行にプログラムを書くというのもなんか面倒くさい感じがした。その他は、分岐処理の記述や繰り返しの記述の発展でもGO
TOとかは慣れれば使いやすいのかもしれないが自分ではなんか使いづらい感じを受けた。でも最初から習っていたらこれが一番使いやすく感じたのかもしれないと思ったりもした。
- FORTRANが発展していく過程に興味を持ちました。普段プログラミングをする上で型宣言をすることは当たり前になっていて、宣言しないで変数を作ることは出来ないので、型宣言のない初期のFORTRANを見てとても違和感を覚えました。当たり前のことかもしれませんが、やはりどんなものでも最初は簡単なものから始まり、徐々に使いやすいように改良されていくものなのだなと思いました。サブルーチンについても、別に作ってそれを呼び出すということは今現在私たちも利用しているやり方で、プログラムを見やすくするという点で優れているものだと普段から感じていたので、それが、型宣言が考え出される以前に考えられていたことに驚きました。
- 今回の講義で、私が興味を持った事はFORTRANの発展についてです。なぜなら、FORTRANは現在でも良く見られる型宣言、文字列型、IF文の発展型などを導入したということで、私達が使うプログラミングにもつながると思ったからです。これによって、プログラミングの見通しがたち、さらに使いやすくなったと思います。私もそれらは何気なく使っていましたが、そういったFORTRANの発展が、今後のプログラミング発展にもつながるということで、重要に感じました。
<感想>
- FORTRANのしくみを初めて知ることができました。科学技術計算を行う人たちに支持されている言語ですが、その使い勝手の点から見てみても普及しているのもうなずけます。しかし、Java言語の登場によってその影も多少薄れてきたのではないかと思います。実際に基本情報技術者試験の問題でもFORTRANは問題の対象になっていましたが、Java言語も登場や、その利用性の高さから見て、FORTRANの問題がなくなったのです。
- 自分は、楽しいから理解が深まるという考え方でしたが、その割合を見ると、理解が先の方がほとんどで、自分なりには、少し意外な感じがしました。このような講義は、他の人の意見や感想が聞けて、非常に楽しいし、ためになることも多いのでこういう講義形式はいいと思います。
- 理解が先か、楽しさが先かというところがありましたが、こればっかりは各個人違うものだなぁと思いました。やっぱそれぞれの楽しくなったきっかけや、自分が出来るという自信がついたのかがどっちがさきという答えを出したんだと思いました。
- 当時FORTRANを使用していた人がどれほどいたかは分からないが、わずかな期間で大きな変化があったことはすごいと思う。私たちが使用しているJavaもいずれは新たな発想とともに変化があると思うが全く想像できない。今後どういった発想がでてきて変化があるのか楽しみに思えるようになってきた。
<疑問>
- FORTRAN」の処理の中でいまいち理解できなかったのが、まず、「WRITE(6,100)」という処理でした。WRITEはわかるのですが、次にある6,100というのはなにをやっているのでしょうか?
また、IF文によって「GO TO」というのが削除されたのはわかったのですが、IF文代替前の「GO
TO」はどういう処理なのでしょうか?
- FORTRANの発展1の段階で、整数の変数がi〜nまで、全部で6つまでしか使えないのでは変数が増えていって6以上の変数が必要になった場合困るのではないかと思いました。
- 「LOGO」の特徴の「コンピュータとの対話形式でプログラミングできる」というのはどういったものなのかもすごく気になりました。
チャート式の心理テストみたいに、「ひとつの質問からYES or NOの2択からひとつを選んで道を進んでいって、その答えにたどり着く」というものなのか、コンピュータに語りかけるように「これはできるのか?」「こういう処理をして欲しい」といったように書くのか、その辺が知りたいです。
- 討論のまとめですが、ひとつの結論としてでしょうが、言語と教育で解決するしかないとありましたが、それではプログラミングを学習するとき教育を受けなくてはいけないのか?と思いました。