ニブフ語音声資料3
ープグスクー
白石 英才 ガリーナ ローク
序文:T.デグラーフ(フリースランドアカデミー)
¥Ë¥ô¥Õ¤Ï¤«¤Ä¤Æ¥µ¥Ï¥ê¥óÅç¡¢¤ª¤è¤ÓÂдߤΥ¢¥à¡¼¥ëÀή°è¤ÎÍÎÏ̱²¤À¤Ã¤¿¡£´ÖµÜÎÓ¢¤Ï¸å¤Ë¡Ö´ÖµÜ³¤¶®¡×¤È¸Æ¤Ð¤ì¤ë³¤¤òÅϤëºÝ¡¢ÅÚÃϤΥ˥ô¥Õ¿Í¤Î½õÎϤòÆÀ¤Æ¤¤¤ë¡£¿Í¸ý¤ï¤º¤«4900¿Í¤¢¤Þ¤ê¤Î;¯¿ô̱²¤Î¸À¸ì¡Ö¥Ë¥ô¥Õ¸ì¡×¤Ï¥¢¥¤¥Ì¸ì¤äÆüËܸì¤Ê¤É¤Î¶áÎ٤θÀ¸ì¤ÈÁ´¤¯°Û¤Ê¤ë¹½Â¤¤ò»ý¤Ä¡¢·ÏÅý¤Î¤ï¤«¤é¤Ê¤¤¡¢¤¤¤ï¤æ¤ë¡Ö¸ÉΩ¸ì¡×¤Ç¤¢¤ë¡£ÂèÆó¼¡À¤³¦ÂçÀï¸å¥Ë¥ô¥Õ¿Í¤Îµï½»ÃϤϳ°¹ñ¿ÍΩ¤ÁÆþ¤ê¶Ø»ß¶è°è¤È¤Ê¤ê¡¢Ä¹¤é¤¯ÏÃ¼Ô¤ÎÆ°¸þ¤¬¤ï¤«¤é¤Ê¤«¤Ã¤¿¡£¤è¤¦¤ä¤¯À¾Â¦¸¦µæ¼Ô¤Ë¤â¸½ÃÏÄ´ºº¤Îµö²Ä¤¬²¼¤ê¤¿¤Î¤Ï1990ǯ¤Î¤³¤È¤Ç¤¢¤Ã¤¿¤¬¡¢¤½¤Î¤È¤ÏüԿô¤Ï¤¹¤Ç¤ËÁ´¿Í¸ý¤Î£²£°¥Ñ¡¼¥»¥ó¥È¤Û¤É¤Þ¤Ç¸º¤Ã¤Æ¤¤¤¿¡£
É®¼Ô¤Ï1999ǯ¤Ë½é¤á¤Æ¸½ÃϤòˬ¤ì¤Æ°ÊÍè¥Ë¥ô¥Õ¸ì¤ÎÄ´ºº¤ÈµÏ¿¤ËÅØ¤á¤Æ¤¤¿¡£Ëܽñ¤Ï¤½¤ÎÀ®²Ì¤Ç¤¢¤ë¥·¥ê¡¼¥º¡Ø¥Ë¥ô¥Õ¸ì²»À¼»ñÎÁ¡Ù¤ÎÂ裳¹æ¤Ç¤¢¤ë¡£ËÜ¥·¥ê¡¼¥º¤ÎÂç¤¤ÊÆÃħ¤Ï¼ýÏ¿¤µ¤ì¤Æ¤¤¤ë̱ÏᢲÎÍØ¡¢²ñÏäʤɤ¬¤¹¤Ù¤ÆÅºÉÕ¤ÎCD¤Ë¼ý¤á¤é¤ì¤Æ¤¤¤ë¤³¤È¤Ç¤¢¤ë¡£¤Þ¤¿É½µ¤Ë¤Ï¥í¥·¥¢Ê¸»ú¤òÍѤ¤¤¿¡£¥í¥·¥¢¸ì¤·¤«²ò¤µ¤Ê¤¤¼ã¤¤À¤Âå¤â¤¤¤Ä¤«Ëܽñ¤ò¼ê¤Ë¤È¤Ã¤Æ¤¯¤ì¤ì¤ÐÉ®¼Ô¤é¤âËÜ˾¤Ç¤¢¤ë¡£¤Ê¤ª¡Ö¥×¥°¥¹¥¯¡×¤È¤ÏËÜÊԤμçÍפʸì¤ê¼ê¥ô¥§¡¼¥é¡¦¥Ø¥¤¥ó¤µ¤ó¤Î¥Ë¥ô¥Õ̾¤Ç¤¢¤ë¡£
序文
2000年夏、私は本書の著者の一人である白石英才氏とサハリンに数週間滞在し、北サハリンのネクラソフカ村で地元のニヴフ人話者と会いニヴフ語の現地調査を行なった。私にとっては1990年に初めて可能となった民族言語学の国際調査団に参加して以来二度目のサハリン訪問であり、当時知り合い、我々に民族の言語と文化について惜しみなく情報を提供してくれたサハリンの人たちのうちの何人かとの懐かしい再会の旅でもあった。
9月初めはロシア全土の小中学校で新学期の開始を祝う特別な式典があり、我々が滞在したネクラソフカ村の学校でも9月1日に盛大に挙行された。きちんと正装し贈られた花束を手にした子供達が親に連れられて学校前の広場に集まった。校長がスピーチをし、音楽が流れ子供達が詩を朗読し、あるいは寸劇を披露した。遠くからの来賓として出席した白石氏と私に校長は子供と親を前に何か話してくれないか頼んだ。白石氏が彼らにニヴフ語で語りかけたときの親達の驚きは大変なものだった。なぜならニヴフ語はすでに高齢者の間でしか使用されない言語だったからである。日常生活ではニヴフ人は家庭でもロシア語を使用し、親の世代といえどもニヴフ語を聞いていくらか理解できるかに過ぎない。ソビエト時代の言語政策であり、子供達の大半が体験した寄宿学校制度の結果である。子供達は自民族の言語を使用することを禁じられ、ロシア語の使用を強要された。
ニヴフ語を学習できる場は非常に限られている。我々が1990年、またその後も何度か訪れたネクラソフカの小学校などでである。地元のニヴフ語教師達はどのようにして若い世代に自分達の言語と文化を伝える努力をしているか熱っぽく我々に語った。子供達をとりまく環境はかつてと大きく変わってしまった。かつて家庭で使用される言語はニヴフ語であり、子供達は学校にあがって初めてロシア語に接した。今は子供達はロシア語を聞いて育ち、ニヴフ語は祖父母の世代の人たちから時折聞く機会を得るに過ぎない。このことはニヴフ語が学科として教えられているネクラソフカ村などの学校の教師達がニヴフ語を第二言語、つまり外国語として子供達に教えなくてはならないことを意味している。ロシアではこうした事情に基づきニヴフ語の教科書や辞書が作成され、教師達は子供の学習意欲、また親の理解を得るため様々な工夫をする。ネクラソフカの人々は白石氏が話すニヴフ語の一語一語を聞いて喜び、自分達が受け継いだ民族の伝統への関心を人々の間に呼び起こすためにこうして日本から来た若い研究者の役割と貢献がいかに重要であるかを我々に語った。
2003年10月20日から25にかけて我々はユジノサハリンスクの郷土博物館でニヴフ語とウィルタ語の教授法と研究法についての学会とセミナーを開催した。これは我々の国際研究プロジェクト「ツンドラとタイガの声」の一環として行なわれた。我々の最終的な目標はサハリン先住民族言語の研究センターをサハリン内外で活動する研究者や教育関係者と協力して設立することである。このセミナーでは何人かの研究者が自分の研究内容について報告し、あわせてニヴフ語とウィルタ語に関する講義と演習が約35名の出席者を対象に行なわれた。出席者には最新の研究成果と研究技術が披露され、また我々もこのうちの何人かが言語調査のインフォーマントとして適していることを発見した。白石氏はこの場で氏の最新の研究成果である「ニヴフ語音声資料2」を共著者のガリーナ・ローク氏と共に紹介し出席者に配布した。ネクラソフカ村の学校関係者をはじめセミナーの出席者は一同にこの教材としても優れた出版物の公刊を喜んだ。このシリーズにはニヴフ語テキストにロシア語の逐語訳が付いているのみならずオリジナルの音声がすべて一枚のCDに収めら添付されていることが特筆される。音声資料は言語が実際にいかに話されているかを伝える貴重な手段だからである。
本書はこのシリーズ「ニヴフ語音声資料」の第三号である。本書の大きな特長は全編ニヴフ語話者同士による会話から成り立っていることである。2000年私は本書に収録されている録音の現場の一つに同席した。私にとって忘れることの出来ないバーバ・ヴェーラ(ヘインさん)さんのお宅での録音である。ヴェーラさんは我々を海岸近くの自宅に招待し、心づくしのニヴフ料理を振舞ってくれた。白石氏はそこでなされたニヴフ語会話を録音し、その中でもっとも重要な部分を抽出して本書に採録した。ここにはニヴフ語についての貴重な情報が含まれているだけでなく、時折混ざるロシア語からの影響、あるいはロシア語とのコードスイッチングを観察する上でも興味深い。
ニヴフ語に関する研究はフローニンゲン大学における氏の博士課程研究プロジェクトであり、2005年中には「ロシア北方言語、とりわけニヴフ語の音韻と音声資料」と題する博士論文を上梓する予定である。氏はこれまでに多量の言語学的、民族学的資料を現地調査において採集し、とりわけ民話、伝説、歌謡、自然発話等の音声資料を重点的集めてきた。これらの音声資料は氏のニヴフ語研究の基礎をなすものとして極めて重要であり、氏のテーマであるニヴフ語音韻論上の様々な興味深い現象を分析する上でも重要な役割を果たしている。すでに研究成果の一部はいくつかの国際学会で発表されている。その一つが2004年2月にロンドン大学のSOASで開催された「消滅の危機に瀕した言語共同体における研究法と教授法についてのワークショップ」である。また氏の研究成果はフローニンゲン大学文学部言語学科の言語データベース「ロシア諸言語へのガイド」にも一部掲載されている(www.let.rug.nl/~toshi/)。
2004年8月
フリースランド アカデミー、オランダ
チェールド・デグラーフ
はじめに
本編はシリーズ「ニヴフ語音声資料」の第三号である。本編の内容はシリーズ既刊二編と異なり(Shiraishi and Lok 2002, 2003)すべてニヴフ語話者による会話で占められている。録音は二つの異なる機会と場所で行われた。最初の録音「かつてニヴフ人がどのように暮らしていたか」は2000年北サハリンのネクラソフカ村のヴェーラ・ヘインさんのご自宅の居間で録音された。二つ目の録音「私は若いときにサハリンにやってきた」は2001年北サハリンのオハ市で録音された。ヴェーラ・ヘインさんは両方の録音に登場し、本編の副題「プグスク」もヴェーラさんのニヴフ語名(pH«Äsk)からとったものである。ヘインさんは1929年、サハリン対岸のアムール川河口に程近いバイドゥコフ島に生まれた(地図参照)。ご両親は父エズダノク、母エズグクであり共に同島にあるラングルヴォの出身であった。一家はヘインさんが五歳の時サハリンに引越した。そこで一家は北サハリン西海岸のロマノフカやクレウヴォといった村に住んだ。ヘインさんが大人になってからはチェギ村に移り住み、漁業コルホーズ「五ヵ年計画」に就職した。そこでヘインさんはピョートル・ヘイン氏と結婚した。五歳まで育ったバイドゥコフ島を訪れたのは島を離れて40年が経ってからだった。ヘインさんはそこで大勢の親戚と知り合った。ヘインさんは長らくロマノフカ村に住み、民族の伝統工芸に対する関心と情熱を高めていった。先住民族の伝統と工芸品を紹介する使節団にサハリン代表として選ばれ、何度もモスクワを訪れた。ニヴフの伝統文化に対する功績が評価され、何度も表彰されている。近年ヘインさんはロシア内外から彼女の元を訪れる研究者たちにニヴフの伝統文化や生活についての知識を提供している。これまでカナダ、フランス、日本、オランダ、アメリカなどの国々から研究者がヘインさんを訪ねている。現在へインさんは北サハリンのネクラソフカ村に居住している。
2000年8月、T.デグラーフ氏(オランダ・フローニンゲン大学)とG.ロークと白石英才は三人でヘインさんをネクラソフカ村の旧村地区に建つご自宅に録音のため伺った。この調査旅行は文部科学省の特定領域研究「環太平洋の「消滅に瀕した言語」にかんする緊急調査研究」の一環として行われた(詳細は以下のURLを参照されたい。www.elpr.bun.kyoto-u.ac.jp/) 。我々はニヴフ語の自然発話を録音するためヘインさんにロークさんとニヴフ語で何か話してくれないか頼んだ。その際特に話題をこちらから指定することをせず、話者が気軽に会話できるように勤めた。唯一の例外は録音の冒頭で白石がかつてニヴフ人がどのように暮らしていたか話してくれるよう頼んだことである。しかし会話が進むにつれ話題はどんどん拡がっていき、二人の共通の知人の近況についてなどより具体性のある話題に取って代られた。このように話題は知人の消息とかなり限定されたが、内容は部外者にとっても非常に興味深いものとなっている。すでに現存しないニヴフの村々での生活の様子を伝えているからである。ヘインさんはその中でニヴフのいくつかの氏族の名前の由来、また殺し合いに発展した親子げんかの様子を生々しく語った。
二つ目の録音は2001年10月、北サハリンオハ市のヤーリンさんのお宅で録音した。10月19日、我々はヘインさんとお友達のアンナ・ラトゥンさんをネクラソフカ村に訪ね、二人の共通の友人である故レーナ・ヘンガンさんを一緒に訪問することにした。当時ヘンガンさんはオハから程近いエハビ村に住んでいた。我々はそこで長時間過ごしたので、その日のうちにネクラソフカ村に戻るのではなくオハ市のヤーリンさんのお宅に留まることにした。ガリーナ・ヤーリンさんはロークの従姉妹でもある。その晩、ヤーリンさんとヘインさんたちはロシア語とニヴフ語半分半分くらいでおしゃべりを始めた。しばらくするとロークが目配せで白石に会話を録音するよう指示したので白石はマイクをテーブルの上のなるべく目立たないところに置いて録音を開始した。話者は全員会話が録音されていることを理解していたが、結局この夜の会話のほとんどの部分を録音することができた。話題はベリー摘みの思い出からクマの飼育について、禁忌、数詞や助数詞についてと多岐にわたった。録音を聞いていただけばわかるがこの夜の雰囲気は大変リラックスしたものであった。一つには話者同士がお互いをよく知っているからであり、またもう一つはその前に出されたヤーリンさんの心づくしの料理の数々のおかげであろう。
しかしこのような自然発話の録音には困難も伴う。まず雑音がある程度入るのは止むを得ない。最初の録音ではマイクの後ろに大きな旧式冷凍庫がありモーター音がほぼひっきりなしに鳴っていた(この録音を後から聞いてようやく事態の重大性に気づいた我々は以後録音を開始する時は部屋中のすべての電気機器の電源を切ることにした)。雑音が激しい録音箇所は本編に取り入れなかった。
次に我々は使用される言語について特に指定しなかったので、ニヴフ語の会話の途中でロシア語が混じることがよくあった。そして一度ロシア語にスィッチした場合なかなかニヴフ語に戻らないことが多かった。こうした資料は二言語使用の研究にとっては興味深いと思われるが、結局主にロシア語で話されている箇所は本編に含めなかった。
第三に我々は話される内容については特に制約を設けなかったので、時として話題が大変プライベートな事柄に及んでしまうことがあった。本編の作成と公刊にあたり我々は特定個人の気分を害するような内容を取り込まないように注意したが、不幸にしてそのようなことが起こってしまった場合、責任はすべて我々編者にあることを明確にしたい。
表記と翻訳はすべて既刊二編と同様のプロセスで作成された。2003年夏白石がフローニンゲンにてテープを起こしてテキストを作成した。同年の10月から11月にかけて白石がサハリンを訪れロークとニヴフ語テキストのチェックをし、ロシア語訳を作成した。この調査旅行に際してはフローニンゲン大学文学部言語学科(CLCG)の援助を受けた。10月29日から11月14日にかけて我々はユジノサハリンスクの教育関係者の研修施設付属の寮に寝泊りし原稿の作成をした。当時ロークがこの研修施設でニヴフの伝統手芸についての講義を担当していたからである。英訳と和訳の作成、最終原稿の仕上げは白石がフローニンゲンに戻って行った。
表記法は既刊二編とほぼ同じなのでここでは簡単に紹介するにとどめる。母音と子音の音価を以下に国際音声字母(IPA)を用いて対応するキリル文字の右側に表す。
本書中のニヴフ語表記
母音: i/i u/u
//e y/Ž« o/o
a/a
子音
|
唇音 |
舌頂音 |
硬口蓋音 |
軟口蓋音 |
口蓋垂音 |
喉頭音 |
帯気閉鎖音 |
p< / pH |
t< / tH |
h / cH |
k< / kH |
3< / qH |
|
非帯気閉鎖音 |
p / p |
t / t |
t; / c |
k / k |
3 / q |
|
有声閉鎖音 |
b / b |
d / d |
d; / dZ |
g / g |
0 / G |
|
無声摩擦音 |
f / f |
5/rà s/s |
|
x / x |
6 / X |
7 / h |
有声摩擦音 |
v / v |
r/r z/z |
|
1 / ŽÄ |
2 / ŽÒ |
|
鼻音 |
m / m |
n / n |
n; / ø |
4 / N |
|
|
側音 |
|
l / l |
l; / lJ |
|
|
|
わたり音 |
|
|
j / j |
|
|
|
また以下の音節文字を適宜使用した。
e = IPA [je], q = IPA [ja], [ = IPA [ju], \ = IPA [jo]
音節文字が音節末子音に後続する場合、硬音記号「=」をもって音節境界を示した。
例: n;lyv=q [ølŽ«v.ja] 「私を隠しなさい」
本編では大文字は人名と地名についてのみ用い、文頭の一文字を大文字化することは特にしていない。また翻訳中で地名はニヴフ語のものではなく現在使用されているロシア語名を用いた。例えばガニヴォ(Јanivo)はロマノフカという現在使用されているロシア語名で表記した。
略称:
AL% アンナ・ラトゥン
VX% ヴェーラ・ヘイン
GL% ガリーナ・ローク
GQ% ガリーナ・ヤーリナ
TG% チェールド・デグラーフ
XS% 白石 英才
お礼
本編の序文を書いてくださったT.デグラーフ先生へ(フローニンゲン大学、フリージアンアカデミー)。サハリン郷土博物館館長T.ローンさん、学芸員のO.マキエフスカヤさん、E.ニトゥククさんその他大勢のスタッフの皆様。ユジノサハリンスク市での我々の滞在に便宜を図ってくれた次の方々:A.ナチョトキナさん、E.ナチョトキンさん、R.ハイロヴァさんとご家族のレギーナさん、セルゲイ・フェドゥーロフさん、T.ローンさんのご家族のアレクサンドルさんとクセーニャ。E.ニトゥククさんとご家族のヴァレンティナさん。前サハリン州美術館館長のA.マラムジナさん。ノグリキ市の次の方々:M.キーモフとご家族の方々、ブラートとアグワン・ローク。オハ市の次の方々:V.アグニュンさんとご家族の方々、ルーザさん、三人息子のニコライ、ヴィクトル、アンドレイ。V.ヤーリンさんとご家族の方々:ガリーナさん、ヴィタリイとアリク。オハ管区議会議員のA.コロソフスキさん。ネクラソフカ村では次の方々:L.ユガインさんとご家族の方々、ヴァレンティナ、オクサナ、アニュータとアレクセイ。J.フリュンとご家族の方々:シューラさんとオリガ。様々な行事に我々を招待してくださる民族アンサンブル「クフクフ」(白鳥)の皆様。いつも真摯に我々の質問に答えてくださる話者の皆様:O.ニャヴァンさん、V.ヘインさん、V.イヴァノヴァ-アキリャークさん、V.ヤーリンさん、G.ヤーリナさん、N.ヴォルボンさん、A.ラトゥンさん、L.ユガインさんと奥さんのヴァレンティナさん。以上の方々に心よりお礼申し上げます。
2003年夏悲しい報せが届いた。我々の良き知人、理解者であり才能豊かな芸術家、4人の子供の母、良き教師でありいつも我々を暖かくノグリキのご自宅に迎えてくださったリディア・キーモヴァさんが長い闘病生活の末ユジノサハリンスクの病院で亡くなった。享年65歳。大好きだったリディアさん作品を鑑賞しに個展を訪れたのも思い出になってしまった。我々はいつかリディアさんの思い出を綴ったエッセイ集を出版したいと思っている。
2004年1月今度はネクラソフカ村から悲しい報せが届いた。本編に登場するV.ヘインさんのご主人のイヴァン・ヘインさんが6日にお亡くなりになった。イヴァンさんはいつも大勢でご自宅に訪問する我々を暖かく迎えてくださった。ヘインさんを始めご遺族の方々に心よりお悔やみ申し上げると共にイヴァンさんのご冥福をお祈り申し上げたい。
2004年10月
白石 英才 |
ガリーナ・ローク |
|
|
フローニンゲン大学 |
サハリン州郷土博物館 |
文学部言語学科 |
サハリン州 ユジノサハリンスク |
フローニンゲン、オランダ |
ロシア |
|
|
toshi_shiraishi@hotmail.com www.let.rug.nl/~toshi/ |
|
引用文献
Shiraishi, H. and G. Lok (2002) Sound Materials for the Study of the Nivkh Language 1, ELPR Publications A2-15.
Shiraishi, H. and G. Lok (2003) Sound Materials for the Study of the Nivkh Language 2, ELPR Publications A2-36.